キャバクラって以外と楽しい
僕はインドア人間なので、キャバクラというのは、正直楽しめない人種だと思っていました。
学生時代に何回か行ったのですが、正直そこまで楽しくなく、これで行くのは最後かなぁ
なんて思っていたりもしました。
しかし、社会人になって行ってみると
考えが一変しました。
それはなぜか少し書いていきたいと思います。
まず一つめは
好きな話をしていい
これにつきますね。
会社の先輩と話すなら何を話すべきなのか?とか、色々考えて疲れるのですが、キャバクラならそんな事考えずに適当に話せる。
そう思うと、一時間4~5000円を払う価値はあるのかもしれません。
次に、
相手がとりあえず話にのってくれる。
これも重要ですね。
やはり、人と話すということは、相手の話したい話に全力のる。やられて改めて重要だと思いましたね。
最後に
女性と話せる
正直これにつきますよね。(笑)
陰キャであっても、女と話すのは楽しい
正直学生時代の時は、金を払ってまで女と話したいとは思わなかったですけど、まぁえらく価値観が変わりました。(笑)
まぁ、これで感じたことは、出来る出来ないはおいておいて
如何に相手が楽しく話せるのか
これが出来るようになるのが重要なんですね。
僕は、シラフの時は、そういうことが出来ないので、キャバ穣のような、話を出来るようになりたいと思う今日この頃でした
思い出になる音楽 とは
思い出というのはふとしたきっかけで思い出す物だとおもいます。どういうときかと言えば
- 旧友と会う
- 昔よく通っていた道を歩く
- よく使っていたものを使う
- 昔聞いていた音楽を聞く
etc.
など色々あると思いますけどその中で今回ピックアップしたいのは
昔聞いていた音楽を聞く
この事について書いていきたいと思います。
僕は一人でいることが多くてその時は基本的に音楽を聞きながら行動するのですが、
不思議なことに昔よく聞いていた音楽でも
思い出が甦るものと
思い出が甦らないもの
これがよくあるのです。
ぼくのよく聞くというレベルは気に入った曲を1日10回を1ヶ月ガンガン聞くというレベルです。
それだけ聞けば、嫌でも思い出になる物だと思うのでが、それでも思い出になる曲 ならない曲が出てくるのです。
それが不思議で音楽と記憶についての本を何冊か目を通して見たのだけれどなかなか納得いく答えが見つかりませんでした。だから僕なりに考えたことを綴っていきたいと思います。
まず、思い出になるというのは
強烈な記憶と結び付くというのが一つ目にあると思います。
しかし、強烈な記憶なんだから、記憶に残って当たり前です。
僕がここで書きたいのは何気ないことなのに、音楽を聞いただけで記憶が走馬灯のように思いだしその時の感情が甦る現象のことについてなのです。
しかしこの現象は狙って起こすことがすごく難しい。記憶を熟成させるそのタイミングを探ってはいるのだけど、如何せん上手くいきません。それは長すぎても短すぎても駄目なのです。
僕の場合、高校生の時にガンガンにローテしていた曲を今聞いても記憶が走馬灯のようには蘇りません。(笑)
逆に一週間ガンガンに聞いた曲でやってもそう上手くはいきません。
そしてそれが何故なの上手くいかないのか説明出来ないのがものすごく歯痒いのです。
それは自分の気に入った(好み)曲だから、思い出を甦らす引き金になりうるのか、それとも違うのか、
この感覚を持っているのが自分だけだから誰かに説明してもらうことも出来ない
だから袋小路に迷い込んでいるのです。
ただ、この現象が起こるときは、何者にも変えられない快感があり、もしこれについて解説出来る方がいるなら是非ご教示願いたいです。
ファスト風土に騙されるとは
僕は喫茶店巡りが大好きで、地元の喫茶店をによく通います。
喫茶店というのは素晴らしいもので、タバコも吸えて、日頃溜まったストレスなどが吹き飛び、明日の活力が生まれて来るものです。
僕は京都に住んでいるのですが、京都の繁華街にはこれでもかというほど喫茶店が軒を連ねており、全てを回るのは時間的にも金銭的にも厳しいなぁと思っていました(笑)。
続きを読む今週のお題 夏うた と言えば1/6夢旅人
今週のお題「私の『夏うた』」
僕の思う夏うたと言えば
タイトルにも書いてある
1/6夢旅人です
この曲は【水曜日どうでしょう】
という番組のEDテーマであり、
僕の好きな曲でもあります。
夏うたというのだから、歌詞が夏風だとかあると思いますが、なぜか僕はこれが夏曲になります。
その理由はやはり、
水曜日どうでしょう
の企画が夏にこそやりたい企画が多いからでしょうか?
どのような企画かと言うと、
カブに乗って日本一周
サイコロの旅
のような暇な学生が友達と一緒に馬鹿をやるような企画がとても多いからです。
大学生の夏休みにノリだけで遊ぶなんてことは、今じゃ簡単には出来ませんよね
だからこそ、1/6夢旅人を聞くと大学生時代を思い出しまし、夏休みの曲というイメージかあるのです。
もう一度夏休みを味わえるならこういうことをやりたいなぁと思う今日この頃でした
ネットにいるという感覚 エゴサ編
ブログを書き始めた直後というのは、自分の記事が読まれてるのかってとても気になりますよね。
そこで色々調べてみると、Google検索に引っ掛かるには時間が掛かるとか書いてあり、なかなか自分の文章がネットで拡散しないなぁと思っていたんですよ。
でもとりあえず気になるので、
自分が書いた
をエゴサしてみたら……
こんな記事が出できました
「ネットに居る」という感覚
http://d.hatena.ne.jp/coconutsfine/touch/20081119/1227064437
タイトルは同じなのに内容は
全く反対
この差がとても面白かったです。
リンク先を読む人がめんどうな人のために要約すると
- ネットに居るという感覚が普通の人にはわからない
- この表現がすごく文学的
- ネットトークがリアルでは通じない
- この感覚が分かるのはマイノリティ
と言ったように正反対のことを書いているのがとても印象的でした。
(2については、少し自分が誉められたように感じたら書きました(笑))
この記事が書かれたのは2008年頃であり、そこから約10年経つとこの感覚がマイノリティからマジョリティに変化した。
このように受け取って良いものだと思います。
これは、そのままネットが普通の人に普及したからこのようになったと考えるのが妥当だと思いますが、それにしても10年でこんなに感覚が変わるというのは、不思議でなりません。
そこで感じたことは、やはり
身近になればなるほど【いる】という感覚が曖昧になる
結局これですね(笑)
それの是非については僕に決められないけど、ただ一つ言えるのは、みんなあまり、どこにいるかなんてことを深く考えていない
考えれば面白くなるけど、そこにリソースを割かないんですね。
同じネットにいる(居る)という感覚という観点から文章を書いているのに、この感覚について肯定と否定に別れるそれを発見出来ただけでもエゴサしてよかったと思います。
今は亡きテキストサイトという時代 ヴァーチャルネットアイドルちゆ12才
テキストサイト最盛期は2003年頃、その時、僕はまだ小学生でありその熱気を直接見たわけではないけど、ネットに興味が出て調べ始めるとこの時代はとても輝いていたように思います。
テキストサイトの管理人達の自分の好きなことをとことん追及する姿というのは、今見ても色褪せないそんな物がひしひしと伝わってきます。
その中でも僕の一番好きなサイト
ヴァーチャルネットアイドルちゆ12才
これについて少し語っていきたいと思います。
まずちゆについて語るに辺り、絶対に必要なことというのは、管理人の膨大な知識これは外せないと思います。
例を挙げるだけでも、
この二つは僕の大好きな記事です。
まず一つ目の
「1ch」の歴史
についてです。
1chというのは、今の20代の人達はほとんど知らないサイトではあると思うけど、これはとても興味深い物だと思います。
2ちゃんねるとは違う、人に優しい掲示板。良い投稿をした人にはお金が入る仕組みを作るバリューエクスチェンジシステム!
……そうしたカラフルな宣伝文句が飛び交う中、いざアクセスするとセキュリティが甘すぎてボロボロの掲示板や、2ちゃんねるに対する敵意を剥き出しにした運営側の投稿が待っているという、あまりにも期待を裏切られる残念な内容だったのが惜しい。
この文を読むだけで、1chの理想と現実がよく見えてきます。罵詈雑言が飛び交う2chが嫌いなのだけど、運営は杜撰というのが見えてきて、このギャップが面白くずっとこの記事を読んでいました。
次に、
40年前のエロ本
という記事について、初めて読んだ感想は
何でこんなこと知ってるんだよ!(笑)
その内容についても、今の時代では考えられないぐらい未来を逝ってる感じであり、
特に
これのインパクトは絶大でした。
僕の文章力ではこの魅力を伝えきれないので、ぜひこの記事を読んでほしいです。
とまぁ僕の好きな記事を二つ紹介しましたが、この面白さというのは、最近のネットではなかなか見れない代物だと思います。
これは僕の主観ではあるのだけれど、
今のネットの笑いの主流は
刹那的な笑い
これに尽きると思います。
刹那的な笑いはあったし、それだけで全てを語ることは出来ませんが、僕にとっては高度な笑いというのが流行っていたのは事実です。
しかしそれは過去の物になっていき、刹那的に笑えばいいだろうこれが主流になっているように思います。
それはとても楽なんだけど、たまには凝った笑いというのを見たいものです。
そのためにまずは、ネタのレベルを上げていこうと思いました。(笑)
楽しいと面白いの違いについて
【楽しいけど面白くない】
こういう感覚が分かる人いますか?
まぁこの感覚が分かるからこの記事を読んで頂いてるのだと思いますが、まずは楽しいと面白いの意味を調べて見ようと思います。
楽しいとは
意味
例文
たのし・い【楽しい】 の意味
出典:デジタル大辞泉
[形][文]たの・し[シク]
1 満ち足りていて、愉快な気持ちである。「毎日を―・く過ごす」「テンポのよい―・い曲」「―・いピクニック」
2 富裕である。金持ちである。「堀川相国は、美男の―・しき人にて」〈徒然・九九〉
3 作物の出来が豊かである。「この年頃は、いとこそ―・しけれ」〈大鏡・道長上〉
というように 満ち足りていて愉快な気持ちとあります。まぁこの僕なりの解釈で言うと
与えられた物で満足するといった感じですかね
つぎに
面白いとは
おも‐しろ・い【面白い】 の意味
出典:デジタル大辞泉
[形][文]おもしろ・し[ク]《もと、目の前が明るくなる感じをいった語》
1 興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い。「何か―・いことはないか」「仕事が―・くなってきた」「この作品は―・くなかった」
2 つい笑いたくなるさま。こっけいだ。「この漫画はなんとも―・い」「―・くもない冗談」
3 心が晴れ晴れするさま。快く楽しい。「夏休みを―・く過ごした」「無視されたようで―・くなかった」
4 一風変わっている。普通と違っていてめずらしい。「―・い癖」「―・い声」
5 (多く、打消しの語を伴って用いる)思ったとおりである。好ましい。「結果が―・くない」
6 風流だ。趣が深い。「月の―・きに、夜更くるまで遊びをぞし給ふなる」〈源・桐壺〉
というように、興味をそそられて、心が引かれるさま。興味深い ということらしいです
僕なりの解釈で言うと、自分で探して見つけるものと言った感じでしょうか。
そう考えると、楽しいものは溢れているけど、面白い物はなかなか見つからないという風に思えませんか?
楽しい物は受動的で
面白い物は能動的
こう書くと当たり前だなぁと思いますが(笑)
この二つは結構曖昧になることが多い気がします。
楽しい物は企業の方々やブロガーなどの人達が日夜努力して提供してくれいますが、自分が面白いと思う物はなかなか提供してくれない。楽しい物で満たされると面白い物を見つける努力をしなくなる。まったく恐ろしいものです。
でもそこで問題になるのが、
面白いことを見つけなくても楽しければいいじゃんという意見です。
結論から言うとまったくその通りだと思います。。(なんじゃそりゃ)
そりゃあわざわざ面白いことを探す手間を費やすことなどせず、ただ与えられる楽しいことだけで満足すればいい。それで困ることなんて正直まったくありません
でもそれを嫌だと思う人もいるのも事実です(主に自分が)、だけど自分なりの面白いを追及するのは正直、今の時代に合ってないと思います。 自分の面白いを追及すればするほど先鋭化されてほとんどの人が興味ないということになるからです。
そうならないような文章力が僕にあればいいのだけれど、そんな力はありません。
魅せる力があり、且つ自己満足の文章を書けるこれが今の僕の目標ではあるけどそれをするには何年もかかると思います。
話がかなりにそれてしまいましたが、(笑)
タイトルにある
楽しいけど面白くない
というのは結局なんなのかというと、具体的な例を挙げると飲み会ってことです。
そりゃあ酒飲んだら楽しいけど、ただそれだけなだけで終わりというのはまさに楽しいけど面白くないということだと思います。
こんなに長々書いたけど結局は飲み会が嫌なだけというしょーもない記事でした(笑)