ポケットモンスター キミにきめた! 感想 2

 

 

 

※ネタバレ注意

 

 

 

 

 続き

ピカチュウと友だちになった後OPが流れるのだけど、

そのOPもまた、鳥肌ものなんですよ

ここは、記憶があやふやなので覚えているところだけ書いていきます。

まず一つ目は、

このOPの間に初めてゲットするポケモン

キャタピーをさらっと流すこの鮮やか演出がとても吹き出ず。

次に二つ目は

アニメ版のOPにあるシーンをリメイクしていると思うのですが、雨に降られながら サトシ カスミ タケシが走るシーンをシーンを

 

サトシだけで走るように改変されていました。

 

ここでアニメ版と決定的に違うのだなぁと思いました。

 

アニメ版も映画版もサトシが主人公と言うのは、変わらないのだけど、

 

アニメ版はサトシ カスミ タケシ とポケモン達の旅の物語

 

映画版はサトシとピカチュウの物語

 

これを演出するために入れたのだと思います。

90分という短い時間で纏めるために、タケシやカスミを削ったのだとは思うけど、

 

ただ削るだけじゃなくて、根本から作り変えているように思えました。

 

だからこそ、ここでマコトやソウジを出す意義を自分の中で消化することが出来ました。

また後で書くとは思いますけど、マコトやソウジはアニメ版のメンバーとは明らかに違います。

それは、旅を通じて信頼し合うという点では同じだけど マコトやソウジは劇的に成長することがない これが一番の違いだと思います。

(そりゃあ 短い尺でこれを描く方が無理ではありますが(笑))

 

そうした物が今思い起こせばあのシーンに盛り込まれていたように思います。

 

三つ目は、

OP最後らへんであった ピカチュウ サトシ

キャタピーが木の上で星空を見上げながら、

何かをして考えているシーンです。

 

これは単純にこの構図が気に入ってるだけです。

 

そして、OPが終わり

ジムバトルのシーンに入ります。

ここでなんと 

 

エリカ様が登場されます!!

 

予告で見たので強調してはいますが、そこまで驚きはありませんでした。(おい

 

ただそのバトルシーンはXYシリーズを思い出させるような映像になっていて、ここでもまたテンションが上がりました。

 

XYシリーズでよく見た 電光石火で敵の技を避けながら一気に近づく あれのカッコよさは本当に半端ありません。

 

ただ、エリカ戦のバッジで三つ目という発言には少し??が出ました

 これは

  1.  単純なミスなのか?
  2. ゲームやアニメとは別の世界観とは違うということを強調したかったのか?
  3. カスミとタケシ戦は案に終わったと視聴者に伝えたかったのか?

このどれにも当てはまらないとは思いますが、ここはよくわからなかったですね。

 

そして、場面はポケモンセンターに移り、

ハナコとサトシが電話シーンになります。

(ここも伏線になるとは正直思いませんでした。)

この場面はそのあと、マコトやソウジと出会うシーンに繋がるのですが、懐古厨からしたら見逃せない会話がありました。

「旅に出て連絡しないなんてほんと

パパにそっくりね」

 

 

え?

 

 

ポケアニはよく見てるつもりですがサトシのパパに言及されたのは、僕が知る限りでは

映像内では初めてです。(雑誌などでは、少し触れられていたりしましが)

これもまた、ポケアニファンからしたら驚きだったと思います。正直キミにきめた!内でパパについて触れられるなんて想像すらしてませんでした。

 

そして、ポケモンセンターにエンティに敗れたトレーナーが来て、エンティと戦うようになるのですが、 サトシ マコト ソウジは手も足も出ずエンティは何処かに消えていきます。(このシーンでロケット団が登場したのですが、今回の作品ではロケット団はほとんど活躍しません 何故だ?)

 

「エンティを逃がしたのはお前のせいだ」と

サトシとマコトが口論になりポケモン勝負をすることになります。

 

その時に感じたことがあり、

一つ目は マコトのポッチャマの技構成ヒカリのポッチャマと一緒じゃね?

でした。

ここらも記憶が曖昧なのでまた今度調べますが、多分技構成を似せてるのはファンサービスだと思います。

 

そして、二つ目はバトルをして友情が生まれるきっかけが出来たということです。

(今回はバトルを通じて友情が生まれたわけではないです。)

 

バトル 友情というのはラストとても重要な意味を持つのですが、それはまた後で書いていきたいとおもいます。

 

そして、バトルの途中でポッチャマのバブル光線がイワークにぶつかり、バトルは中断してしまいます。

 

イワークからサトシとマコトは逃げるのですが、そのシーンの途中にディグダが登場しました。

これは懐古厨からすれば 「おっ!」となるのですが、その理由は至って単純で

ディグダがいっぱい】

という回がポケモン最終回の伏線として用意された回だからです。 だからディグダが登場した時は何かあるのかと思ったのですが、

ただ登場して終わりでした。(残念です)

 

イワークから逃げてはいたけど、イワークを止めるために協力した二人は友情を結びます。

 

その後、ソウジが忠告したように嵐が来ます。(この事を書くのを忘れていましたw)

 

次の場面でついに、ヒトカゲが仲間になることになるのですが、

この事は、感想3に書こうと思います。

 

続く

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ポケットモンスター キミにきめた! 感想 1

一言でこの映画を表現するなら

 

 

きみの目で確かめてくれ!!(完)

 

 

 

 

これじゃあ 何の感想にもならんので言うけど

この映画は僕の中でポケモン映画ナンバーワンです 

 

そう断言出来るぐらい、完成度がものすごく高い。演出しかり脚本も映像も全て高レベルだと言えます。

 

ここからはじっくり書いていきたいので

 

 

ここからネタバレありです。

 

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選択は後付け 年齢は……

24歳になって 初めて社会人になったのですが、選択というのは後付けばかりだと思います。

深夜のニコ生の放送に嵌まって生活リズムが狂って留年 からのニートになり、その後社会人として復帰しましたが、
これを選択したからこうなったなんて言える経験はありません。

今の会社を選んだのを選択と言えば、その通りだと思うのですが、それが僕の生き方を大きく変えたか?と言えば

それはNOです。

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なぜネットでは議論が噛み合わないのか?

 

 タイトルにあるように、ネットでは色んなことが日々議論されています。

しかし、その議論はいつも

 

平行線を辿ってばかりです。

 

色んな意見に賛成 反対があるのは当たり前ですが、どのような議論になっても

最後はレッテル張り、誹謗中傷で終わることはよくあることだと思います。

 

それは、匿名掲示板やSNSであっても同じだと思います。

 

ではなぜ?

議論が噛み合わないのか?

それについて少し考えていきたいとおもいます。

 

まず一つ目に考えられるのは

自分が正しいと考えいる

これがあると思います。

 

ネットの性質上、自分の似た考えの情報や人

コミュニティが多くなり、客観的に自分を見ているつもりでも、結局偏りが生じる。

それは仕方がないことなのかもしれません。

しかし、それをよしとすれば、せっかく議論する題材が出てきても、結論ありきの内容ばかりになると思います。

 

これが議論が平行線を辿る一つ目の理由です。

 

二つ目は、

相手が自分と同じレベルだと考えてしまう

これがあると思います。

 

これもネットの性質上相手がどんな人物か判断出来ないので、それが 大人なのか? 子どもなのか? 男なのか? 女なのか?

など様々な立場があり、それを予想して話すのはとても無理なので、結局相手は

自分と同じレベル

と考えて話してしまうこれが起こるのだと思います。

そうなれば、同じレベルだと思って話してみたら通じない結果議論が噛み合わないようになる

これが二つ目の理由です

 

三つ目は

そもそも議論する気がない

僕は、議論というのが嫌いではないのですが、議論が好きというより、

とりあえず自分の考えを言いたい

これを思う人が多いのではないかと思います

この意見を見てとりあえず思ったことを書き込んでスッキリしたらどこかに行くそうなれば議論が出来るはずがありません。

それが三つ目の理由です

 

以上の

  1. 自分が正しいと考えいる
  2. 相手が自分と同じレベルだと考えてしまう
  3. そもそも議論する気がない

それが重なってネットでは議論が平行線を辿るのだと思います。

 

とこのように書いてきたのですが

そもそも  ネットで議論をしたい人はどのくらいいるのだろうか?

もしかしたら議論をしたい人の方が少数派なのかもしれません。

議論をしたいという人でも、相手に勝ちたいというのを主眼に置いてる人というのは、議論ではなくてディベートだと思います。

 

そう考えると

ネットで議論が平行線を辿るのは何故か?

この題材自体ずれているのかもしれません。

 

内容が右往左往してしまいましたが、

リアルでもネットでも自分の思うようには動かないというのがこれでよくわかりました。(笑)

 

 

 

日々勉強♪ この言葉を見るのが辛い

  1. ブログでPV増やす
  2. 株で資産を増やす
  3. 人脈を増やす
  4. アフィリエイトで稼ぐ
  5. 仕事をがんばる
  6. 断捨離

こういう系統のブログではよく

 

日々勉強です♪

こんな文字が踊りまくってます。

正直これを見ると少し悲しくなるのは僕だけでしょうか?

 

そりゃあ、先人の知恵を参考にして日々勉強していくのは大切です。

 

そのために日々勉強という姿勢で頑張るというのはとても好感が持てるものだと思うのですが、

こういう文章を見ると今の僕の姿と重なって

とても見ていて辛くなるのです。

 

今の現状に不満を持っていてそれを変える

日々勉強

この言葉だけで不満がひしひしと伝わってきて、悲しくなります。

 

勉強の哲学という本では

 

勉強の哲学 来たるべきバカのために

勉強の哲学 来たるべきバカのために

 

 

勉強とはノリを悪くすること

と書いていました。

ノリを悪くするというのは、周りと合わせず一度殻に閉じ籠り自分を変えてしまうという行為らしいです。

 

つまり、勉強というのは本来ポジティブな意味ではないと僕は思うのです。

 

最初に挙げたブログの人達も結局は今の不満を解消する手段として、アフィリエイトや株

断捨離のような行為に手を出しているのです。だけど不満を隠すために、日々勉強という言葉を使ってポジティブな自分を演じている。

 

不満が根本にあるのに、ポジティブな言葉で不満をコーディングしたその矛盾が垣間見えるこれに違和感を覚えます。

 

まるで、

不満を持ったら何かをして昇華しなければならい

こういう強迫観念が見えてきます。

 

もちろん僕も同じように不満を解消するためにブログを書いているとみなさん思うでしょう

だからこそ、同族嫌悪してしまうのだと思います。

 

アナ雪ではないけど

ありのままの自分の文章

これを見たいなぁと僕は思います。

 

つまり僕が言いたいのは、

不満を解消するのが駄目というわけではなく、不満を解消する行為をポジティブに演出する

これがとても嫌なのです。

 

こんなに日々勉強という言葉を馬鹿にしているのに、自然とこの言葉を使うようになったらその時はまた、その心境の変化をブログに書いていきたいと思います。

 

キャバクラって以外と楽しい

 

僕はインドア人間なので、キャバクラというのは、正直楽しめない人種だと思っていました。

 学生時代に何回か行ったのですが、正直そこまで楽しくなく、これで行くのは最後かなぁ

なんて思っていたりもしました。

 

しかし、社会人になって行ってみると

考えが一変しました。

それはなぜか少し書いていきたいと思います。

 

まず一つめは

好きな話をしていい

これにつきますね。

会社の先輩と話すなら何を話すべきなのか?とか、色々考えて疲れるのですが、キャバクラならそんな事考えずに適当に話せる。

 

 そう思うと、一時間4~5000円を払う価値はあるのかもしれません。

 

次に、

相手がとりあえず話にのってくれる。

これも重要ですね。

やはり、人と話すということは、相手の話したい話に全力のる。やられて改めて重要だと思いましたね。

 

最後に

女性と話せる

正直これにつきますよね。(笑)

陰キャであっても、女と話すのは楽しい

正直学生時代の時は、金を払ってまで女と話したいとは思わなかったですけど、まぁえらく価値観が変わりました。(笑)

 

まぁ、これで感じたことは、出来る出来ないはおいておいて

 

如何に相手が楽しく話せるのか

これが出来るようになるのが重要なんですね。

僕は、シラフの時は、そういうことが出来ないので、キャバ穣のような、話を出来るようになりたいと思う今日この頃でした