面白い人でもなく変わった人でもない


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僕はずっと面白い人になりたかった

 

自分の話を聞いてみんなバンバン笑ってくれるような環境が欲しかった

 

でも社会人になってからわかったけど

そんなものは幻想だった

 

 

僕の話の内容なんかよりも、インパクトだけで笑ってる感じ

話の話の内容で笑ってほしいけど、雰囲気だけで笑ってる感じ、これがなんだか伝わってきて、僕の自信をなくしていくんだよなぁ

 

それってつまり、僕以外でも代用可能であって、僕だから笑ってくれてる訳じゃない

要は誰でもいいってことですな。

社会の歯車にアイデンティティーは必要ないのかもしれないが、僕が生きるためには必要 

なんですよ

それを 言葉で表すと 

面白い人

 

変わってる人

 

面白い人ってのはこう・・ 表現しづらいけど

魅力的な人って感じかな?

 

魅力的って言うと抽象的なんだけど、

こう表現する以外僕には思いつかない。

 

もうちょっと具体的に書くと魅力っていうのは、その人自身の世界観って感じかな

 

その人なりの世界観があるって要は

目の付け所が人と違うってことだと僕は思うんだよな

 

だから

とかにすごく牽かれる

 

これらは面白いって自信を持って言える

だけど、これは世間では求められていない

なぜかと言うと

この面白さって自己満足の極限みたいなもんだから

 

他人に面白さを説明する必要がほとんどないものだし、 その面白さの根本にあるのもそれ自体の面白さではなく、それが好きな人の人間性が如実に現れるものだから

 

こういう視点で見ると面白い」

 

これが根底にあるの

同じ物見ても

みんな感想は違うわけじゃん

感想は違うけど、みんな同じような視点から見てるってことは多い

 

「君の名は」

を例に上げると

  • このシーンがよくて面白かった
  • このシーンがよく分からなくて面白くなかった

感想は違うけど見てる視点は一緒

要は映画を見ての感想だから

 

僕が思う違う視点って

同じタイトルの「君の名は」あるよとかそういう感じ

ありふれた視点かもしれないけどそれでもそこに最初に着目した人は少数だと思う

 

それをぱっと言える人はすごいと思う。

 

僕はそういう人にも憧れたりするから

共通点を探そうと思うわけですよ

 

そういう人の共通点は変わってるだと思ったの

 

だから

僕も変わってる人に憧れたりするわけ

 

だけど

変わってる人を見たりすると 

自分とは違うと思ってしまう

 

オリジナリティはすごいあるし尊敬するけど

その人に比べると僕はなんて凡人なんだと劣等感に圧し殺される

 

こうやって結局面白い人にも変わった人にもなれない自分に絶望してしまう

 

なんて悲しいんだろうね