人はなぜ物語を求めるのか
僕が今日、本屋に入って本棚を眺めていた時にふと、このタイトルの本が目に留まりました。
タイトルにもあるように、
これです。
今買ったばかりなので、内容は何も読んでません。
なので、このタイトルを見て考えたことを今ここに書き、
読後に僕の考えがどのように変化していくのかを記していきたいと考えています。
もしこれの感想を求める人は、ここを読んでも意味がないかもしれません。
それでも大丈夫という方はそのまま読んでいただけたら幸いです。
僕はいつもこの事が、頭の片隅に残っていました。
その理由は、僕からしたら些細なことであっても然も壮大なストーリーのように語る人をたまに目にするからです。
そのような人は、自己愛が強いなどの精神的な要因が強いのかもしれませんが、自己愛が強くない普通の人でも壮大な物語とはいかずとも、物語調で語るのはよくあると思います。
ではそれが何故なのか?
それについて
僕が思うのは
- 記憶は断片的に処理される
- 共有しやすい
この二つなのではないかと考えています。
まず一つ目の
記憶は断片的に処理されるということです。
断片的に処理されるというのは、例を挙げると
一時間ドトールでゆっくりした。
この場合
- 何処の喫茶店なのか
- 値段
- 大雑把に何をしたのか
これは、記憶に残ると思います。
しかし、それを分解してみると
- タバコは何本吸ったのか?
- コップに何回口をつけて飲んだのか?
- ゆっくりしているときに考えた全てのこと
など思い出せないことも多いと思います。
こんなことを全て覚えていたら、頭がパンクしてしまうので覚えなくていいのですが(笑)
僕の感覚だと覚えていることは、全体の1割ぐらいだと思います。
1割の記憶で済ますためには、情報を削り、それを思い出す時に物語調にするというように情報の効率化を図っている
これが第一の理由です。
二つ目の
共有しやすい
これについて説明します。
端的な情報の場合、情報が少ない分伝わりやすいと思うのですが、
共有するという観点で考えた場合、
どこで共有すればいいのか、というのが伝わらないのではないかと考えられます。
端的な情報だとどこで共有すればいいのか分からないだけど物語のように語ると、臨場感が出て、伝わりやすくなる。
だからこそ共有するために物語のように語る
のだと思います。
以上の理由が、あるから
人は物語を求めるのではないかと考えます。
はたして、僕の考えはその本とどれ程近づけているのか気になる方は、
いつになるかは分からないですけど楽しみ待って頂きたいです。