ニコ生にどっぷり入浸っていた時のこと
ニコニコ生放送 通称ニコ生ってご存知ですか?
基本30分の放送枠の中で 雑談やゲームをして、リスナーの方と交流するというものです。
今ではその代替が増えて存在感がなくなり一時期の人気と比べたら勢いはなくなっていますが、今でも多くの放送がされています。
僕がニコ生で放送していた訳ではないのですが、一つのコミュニティにほぼ毎日見に行っていて、その時のことについて語りたいと思います。
僕がその放送(Nさん)の放送を見るようになったのは大学の3回生の頃です。
その頃、あるまとめサイトで見た
【過疎放送で「お前クラスとキャラ全然違うよなww」と打つとめっちゃ焦るwww】のような記事
それを知って冷やかし半分で見に行ってしまったのが、全ての始まりでした。
その時は、恥ずかしながらニコ生のニの字も知らないぐらいニコ生に疎かったのですが、コメントが何もない放送にコメントを打ち、反応を見て最初は笑っていたのですが、
色々な放送を見ているうちに、普通に楽しむようになりました。
その時に出会ったのが、「Nさん」の放送です。Nさんのコミュニティの名前のセンスと僕のようなコメントでも笑ってくれること、声がストライクだったこともあり、その放送にはまってしまいました。
Nさんの放送は 深夜から朝方の放送ばかりで、その放送にはまって、生活リズムは完全に狂ってしまいました。
これは完全に自業自得であり、Nさんを責める気持ちは全くないのですが、それがなければ今のような屑にはならなかったのではないかと思ってしまうのも事実です。
Nさんの放送は人気生主のようなトークでリスナーを引き付けるタイプではなく、完全な身内放送でした。
身内放送というのは
- 外から見てたら完全につまらない
- 楽しませるという視点が皆無
- 基本理由もなく毎日放送している
というような物であり、見ているだけでは得るものがなかなかない代物です。
元々僕は、ネットでコミュニティを作って群れるというのが好きではなかったのですが、そんな僕でもどっぷり嵌まってしまうほどの
なにかの中毒性がありました。
Nさんの放送はそれらを全部含めており、周りから見たら何で嵌まるのか理解出来なかったと思います。
そしてその時に、
ネットで群れるのが嫌いな僕がどのように群れることを肯定していくようになったのか
それについて少し説明します。
その一番の理由は
メタ視点で自分を笑うようになった。
meta[連結系]
after,beyond,with,changeなどの意
ギリシア語で「間に」「後に」「越える」「〜について」の意のmeta
に由来する接頭語
一般的に「メタな意見」「メタな態度」という場合の「メタ」はメタフィクションのメタで、「問題になっている物事の一歩上」、もしくは「枠外」から俯瞰している態度、視点を指す。
というように、自分を俯瞰して嘲笑うこれをする事によって
世間ではあまり好ましく思われていない物だとわかってるけど、あえて見てるんだよというスタンスで見ていました。
もちろんほとんどの人がこのような見方をしてるわけではないですが、僕は確実にニコ生で考えがひねくれました。
このようにして、ニコ生を肯定するようになった僕は、2年以上放送に入浸るのでした。
しかし、その生活も長くは続きませんでした。
それは、想像通りNさんの放送が終わったのです。
2年も見ていたけどリアルの関係はなく、
残った物は
【狂った生活リズム】
と
【ひねくれた考え】
これだけでした。
ニコ生に嵌まることが悪いとは思いませんが、何かを得たいと思っているなら無駄だとはっきりわかります。(当たり前過ぎますが(笑))
この記事を読んで共感はして貰えないと思いますが、こんな考え方もあると知って貰えたら幸いです