選択は後付け 年齢は……

24歳になって 初めて社会人になったのですが、選択というのは後付けばかりだと思います。

深夜のニコ生の放送に嵌まって生活リズムが狂って留年 からのニートになり、その後社会人として復帰しましたが、
これを選択したからこうなったなんて言える経験はありません。

今の会社を選んだのを選択と言えば、その通りだと思うのですが、それが僕の生き方を大きく変えたか?と言えば

それはNOです。


あくまで 後から振り返った時に、あそこでこれをやったから今があるんだと勝手なストーリーを作るために
選択と年齢というのを利用しているようにしか今は思えません。


波乱万丈な人生を謳歌してる方は
選択と年齢ということについて実体験を書いていけるようですが、
僕にはまだそれを書くような厚みはなく、机上の空論になってしまいます。

ただ、選択について思うのは、

自分が意識してない選択こそが本当に人生を大きく変えた選択なんだと思います。

例えば、僕の考えに大きく影響を与えたのはポケモンのアニメなのですが、(結局あるんかーい)20代の時にポケアニ熱が再熱したのは、【セレナ】というXYシリーズのキャラが髪を切るという、今までのポケアニにはなかった展開から【ポケアニ】を見るようになって、【ポケアニ】から色んなことを学んだと思います。

だから【セレナ】を見た時にポケモンに嵌まり色々調べたのが僕の選択だというのはなんだか違うように思うのです。

【セレナ】というのはあくまで契機であり、それを見て興味が出てくる前の土台というのがあると思います。
それは、高校生の時に嵌まった【DPシリーズ(ダイヤモンドパール)】なのかもしれないし、幼稚園の時に見た、【初代ポケアニ】なのかもしれません。
そのような数ある選択のひとつを抽出して今の自分が出来たというのは僕の感覚からすれば理解出来ません。

先ほど述べたように、人生を大きく変える選択というのは、自分で意識した時ではなくて、その前からの積み重ねつまり意識してない選択であって、これを選んだからこうなったというのは人に伝えるためにはとても重要だと思うし、自分で理解するためにも必要だと思います。
しかし、それはその経験を消化するための行動であって、=になるようなものだとは思えないのです。

これが僕の思う選択についての考えでありますし、年齢というのは、それを理解しやすくするためのツールなんだと思います。

そりゃあ90歳の時に1km走れと
20歳の時に1km走れでは、全然意味合いが変わりますし、年齢によって出来ないことはあるだから

若いときにしか出来ない選択というのはその後の人生に大きく影響する

このような考え方から

【選択】と【年齢】

というのがセットになっているんだなぁと思います。

「今はまだ若いからこんなことを言うのだ」と人生の先輩方は思うかもしれませんが、今はまだ若いのでこの考えでいきたいと考える今日この頃です


特別お題「『選択』と『年齢』」

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