業務用スーパーは楽しい

みなさんは業務用スーパーをご存じですか?

 

業務用という名前ですが一般の消費者も利用可能な全国チェーンのお店です。

 

一昔に比べたら量や質などが落ちたという話もありますが、安くて大量に買うならまだまだお得なお店だと思います。

 

僕はそんな業務用スーパーが好きでよく行きますし、毎回行くとワクワクする気持ちでいっぱいになります。(笑)

 

 

なぜ業務用スーパーに惹かれるのかというと、

 

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仕事を始めてから誰かと話したい欲求が強くなってきた

 

 

タイトルにもあるように

 最近は猛烈に誰かと話したくなってきています。(笑)

 

仕事をする前は誰とも話さなくても良いと思っていたのになぜこんなことを思うようになったのか自分でも正直よくわかりません。

 

 

寂しさが増えたから人と話したくなるのてまあれば、 仕事を始める前の方が誰とも話していないし、前の方が寂しいはずなのに何故か仕事をしてからこの欲求が自分を支配しています。

 

 

たぶん一番の原因は

話したいことを話せない

この不満があるから誰かと話したいと思うようになったんだと思います。

 

仕事をすると話したいとをずっと話すことが出来ないんですよね。(当たり前過ぎますが)

 

 

やっぱりこの不満が誰かと話したい欲求を強くしているのだと思います。

 

 

多分僕の寂しさというのは、

自分の興味のあることについて考えることが出来ないが一番寂しさを覚えるのだと思います。

 

 

それを紛らわすために、誰かと話したくなるのではないかと自分で考えるようにしています。

 

 

時間や体力がもっとあるのであれば、

色々考えることが出来るのに、そんな事をする余裕がないって改めて辛いものだとわかるようになりました。

 

 

 

 

 

ポケアニ 湯山総監督のインタビューは薄っぺらい?

 

まとめサイトを巡回しているときに

タイトルのような書き込みがありました。

 

要約すると、

湯山総監督は富安監督(サンムーンシリーズ 監督)や矢嶋監督(XYシリーズ 監督)のインタビューに比べて薄っぺらいとのことです。

 

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人はなぜ物語を求めるのか

 

僕が今日、本屋に入って本棚を眺めていた時にふと、このタイトルの本が目に留まりました。

 

タイトルにもあるように、

 

 これです。

今買ったばかりなので、内容は何も読んでません。

 

なので、このタイトルを見て考えたことを今ここに書き、

読後に僕の考えがどのように変化していくのかを記していきたいと考えています。

 

もしこれの感想を求める人は、ここを読んでも意味がないかもしれません。

 

それでも大丈夫という方はそのまま読んでいただけたら幸いです。

 

僕はいつもこの事が、頭の片隅に残っていました。

 

その理由は、僕からしたら些細なことであっても然も壮大なストーリーのように語る人をたまに目にするからです。

 

そのような人は、自己愛が強いなどの精神的な要因が強いのかもしれませんが、自己愛が強くない普通の人でも壮大な物語とはいかずとも、物語調で語るのはよくあると思います。

 

 

 ではそれが何故なのか?

それについて

僕が思うのは

 

 

  1. 記憶は断片的に処理される
  2. 共有しやすい

この二つなのではないかと考えています。

 

まず一つ目の

記憶は断片的に処理されるということです。

断片的に処理されるというのは、例を挙げると

一時間ドトールでゆっくりした。

 この場合

  • 何処の喫茶店なのか
  • 値段
  • 大雑把に何をしたのか

これは、記憶に残ると思います。

しかし、それを分解してみると

  • タバコは何本吸ったのか?
  • コップに何回口をつけて飲んだのか?
  • ゆっくりしているときに考えた全てのこと

など思い出せないことも多いと思います。

こんなことを全て覚えていたら、頭がパンクしてしまうので覚えなくていいのですが(笑)

 

僕の感覚だと覚えていることは、全体の1割ぐらいだと思います。

 

1割の記憶で済ますためには、情報を削り、それを思い出す時に物語調にするというように情報の効率化を図っている

これが第一の理由です。

 

二つ目の

共有しやすい

これについて説明します。

 

端的な情報の場合、情報が少ない分伝わりやすいと思うのですが、

共有するという観点で考えた場合、

どこで共有すればいいのか、というのが伝わらないのではないかと考えられます。

 

端的な情報だとどこで共有すればいいのか分からないだけど物語のように語ると、臨場感が出て、伝わりやすくなる。

 

だからこそ共有するために物語のように語る

のだと思います。

 

以上の理由が、あるから

人は物語を求めるのではないかと考えます。

 

 

はたして、僕の考えはその本とどれ程近づけているのか気になる方は、

いつになるかは分からないですけど楽しみ待って頂きたいです。

 

 

 

 

ニコ生にどっぷり入浸っていた時のこと

 


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ニコニコ生放送 通称ニコ生ってご存知ですか?

 

基本30分の放送枠の中で 雑談やゲームをして、リスナーの方と交流するというものです。

 

今ではその代替が増えて存在感がなくなり一時期の人気と比べたら勢いはなくなっていますが、今でも多くの放送がされています。

 

僕がニコ生で放送していた訳ではないのですが、一つのコミュニティにほぼ毎日見に行っていて、その時のことについて語りたいと思います。

 

僕がその放送(さん)の放送を見るようになったのは大学の3回生の頃です。

 

その頃、あるまとめサイトで見た

過疎放送で「お前クラスとキャラ全然違うよなww」と打つとめっちゃ焦るwww】のような記事

それを知って冷やかし半分で見に行ってしまったのが、全ての始まりでした。

 

その時は、恥ずかしながらニコ生のニの字も知らないぐらいニコ生に疎かったのですが、コメントが何もない放送にコメントを打ち、反応を見て最初は笑っていたのですが、

色々な放送を見ているうちに、普通に楽しむようになりました。

 

 

その時に出会ったのが、「Nさん」の放送です。Nさんのコミュニティの名前のセンスと僕のようなコメントでも笑ってくれること、声がストライクだったこともあり、その放送にはまってしまいました。

 

Nさんの放送は 深夜から朝方の放送ばかりで、その放送にはまって、生活リズムは完全に狂ってしまいました。

 

これは完全に自業自得であり、Nさんを責める気持ちは全くないのですが、それがなければ今のような屑にはならなかったのではないかと思ってしまうのも事実です。

 

Nさんの放送は人気生主のようなトークでリスナーを引き付けるタイプではなく、完全な身内放送でした。

 

身内放送というのは

  1. 外から見てたら完全につまらない
  2. 楽しませるという視点が皆無
  3. 基本理由もなく毎日放送している

というような物であり、見ているだけでは得るものがなかなかない代物です。

 

元々僕は、ネットでコミュニティを作って群れるというのが好きではなかったのですが、そんな僕でもどっぷり嵌まってしまうほどの

なにかの中毒性がありました。

 

Nさんの放送はそれらを全部含めており、周りから見たら何で嵌まるのか理解出来なかったと思います。

 

そしてその時に、

ネットで群れるのが嫌いな僕がどのように群れることを肯定していくようになったのか

 

それについて少し説明します。

 

その一番の理由は

メタ視点で自分を笑うようになった。

 

meta[連結系]

after,beyond,with,changeなどの意

ギリシア語で「間に」「後に」「越える」「〜について」の意のmeta

に由来する接頭語

一般的に「メタな意見」「メタな態度」という場合の「メタ」はメタフィクションのメタで、「問題になっている物事の一歩上」、もしくは「枠外」から俯瞰している態度、視点を指す。

 

 ??とは - はてなキーワード

 

というように、自分を俯瞰して嘲笑うこれをする事によって

 世間ではあまり好ましく思われていない物だとわかってるけど、あえて見てるんだよというスタンスで見ていました。

 

もちろんほとんどの人がこのような見方をしてるわけではないですが、僕は確実にニコ生で考えがひねくれました。

 

このようにして、ニコ生を肯定するようになった僕は、2年以上放送に入浸るのでした。

 

しかし、その生活も長くは続きませんでした。

 

それは、想像通りNさんの放送が終わったのです。

 

2年も見ていたけどリアルの関係はなく、

残った物は

【狂った生活リズム】

                と

【ひねくれた考え】

これだけでした。

 

ニコ生に嵌まることが悪いとは思いませんが、何かを得たいと思っているなら無駄だとはっきりわかります。(当たり前過ぎますが(笑))

 

この記事を読んで共感はして貰えないと思いますが、こんな考え方もあると知って貰えたら幸いです